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都 電 荒 川 線

 明治時代から始まった都電(当初は市電)で唯一残っている路線

 わたしの小学生~高校生の頃の東京は,都電万能の時代で,どこに行くにも安くて便利でよく利用した。
共用路面(本郷通り)から専用軌道に入る早稲田行き電車(飛鳥山付近)

 なかでも,秋葉原の電気街や交通博物館行きには,王子駅前~通り3丁目の19系統,高校通学に利用した32系統(荒川車庫~早稲田)および16系統(大塚駅前~錦糸町駅前)などが懐かしい路線である。
 しかしながら昭和40年代初めから次々と運行が廃止され,現在唯一残っているのが27系統(三ノ輪橋~赤羽)と32系統(荒川車庫~早稲田)を合せた荒川線である。路線の大半が専用軌道である事,代替バスの運転が難しい事(ほぼ並行する明治通りは恒常的に渋滞がひどく,バスでは定時運行が困難),沿線住民と都民からの存続要望が強くあったなどの理由で27系統の一部(王子駅前~赤羽駅間)が廃止されただけで生き残った。1974年にそれまで別系統として運行されていた27系統と32系統が統合され「荒川線」と改称され生き残った。

 荒川線
 荒川線は,三ノ輪橋~早稲田間12.21kmを約50分かけて走る(平均時速13キロ),どこまで乗ろうが160円,何回乗ろうが400円,乗り遅れそうな時でも手を挙げて運転手に合図すると待ってくれるユーザーフレンドリーな交通機関でもあり,沿線住民の貴重な足として,また休日には下町観光客(沿線には,荒川遊園地,江戸時代からの桜の名所飛鳥山公園,おばあちゃんの原宿とげぬき地蔵,サンシャインビル,鬼子母神などがある)で賑わう一日6万人の利用客に愛され続けている現役都電である。
 路線は,次の各所で他交通機関と乗り換え可能である。
     東京メトロ日比谷線 三ノ輪駅
     東京メトロ千代田線 町屋駅
     京成線 町屋駅
     JR京浜東北線 王子駅
     東京メトロ南北線 王子駅
     都営地下鉄三田線 西巣鴨駅
     JR山手線 大塚駅
     東京メトロ有楽町線 東池袋駅
滝野川1丁目停留所

右切り絵の奥方向側から撮った写真
  都電荒川線切り絵シリーズ 「滝野川1丁目」

 ”変わりゆく沿線の風景を記録したい”と趣味の切り絵で沿線の風景を書き続けて,今年2月に亡くなた足立区在住で荒川車庫近くの製版会社に通った稲葉祐吉さんの作品

 荒川線の歴史
 1911年 8月 : 「東京市電」スタート。
 1911年 8月 : 王子電気軌道(王電)が大塚-飛鳥山間を開業。
 1942年 2月 : 東京市が王電を買収。
 1967年12月 : 第一次都電撤去(品川駅前-東京港口間他12線区)
 1968年 2月・3月 : 第二次都電撤去(2月:千住四丁目-三ノ輪橋間他3線区,3月:数寄屋橋-文京区役所前間他2線区)
 1968年 9月 : 第三次都電撤去(渋谷駅前-北青山一丁目間他6線区)
 1969年10月 : 第四次都電撤去(泉岳寺前-四谷三丁目間他11線区)
 1970年 3月 : 第五次都電撤去(新宿駅前-外神田二丁目他2線区)
 1971年 3月 : 第六次都電撤去(大塚駅前-本所一丁目他7線区)
 1972年11月 : 第七次都電撤去(錦糸町駅前-日本橋間他6線区)。早稲田-王子駅前-三ノ輪橋間存続。

 わたしは,ボランティアのパソコン教室通いには普段は自転車を使うが,雨天の時には,荒川線の滝野川1丁目~新田間をよく利用している。亡き母も若かりし頃,女学校通いに利用したと云っていた。”王電”時代から現在にかけて,大勢の人々に利用され続けている都電荒川線にエールを送る。


   参考ウェブサイト:東京都交通局「都電」
              ぽこぺん都電館